2011.03.21
東日本大震災
その時岐阜でも地震があった。
ただの地震だと思っていた。
それがとてつもない災害が起きていた。
まったく知らずにいた。
知った時テレビで見た。
まだその時はひどい事が起きたんだなと客観的に思った。
テレビでの映像を見てすごい事が起きていると思った。
その時はこのような大惨事だと思わなかった。
時間が経つにつれて多くの情報が入った。
最初に見た情報より日が経つにつれて多くの被害者、又はお亡くなりになられた方々がいらっしゃりとてつもない事が東日本で起きていたのに僕らは当たり前のように普通に生きていた。
僕の実家は千葉で身内や知り合いがいるが妹からの電話で初めて大きな地震が東日本にあった事を知ってテレビを付けたら単なる大きな地震とは違うかなと思ったけど生死に関わるほどでもないと思っていた。
しかしテレビで津波の映像を見てまるで映画のシーンのように町が津波にのまれていく。
大きな船、車がおもちゃのように見える。
被災地の皆様にはご冥福と厳しい環境の中で生活していらっしゃる方々の健康を祈るばかりです。
僕自身も協力したい気持ちは持っていますが、今の自分自身ではやれることが限られてとても複雑であります。
僕の家でよければ泊まれる限り家で寝てほしいし暖かいふとんで寝て、御飯も食べて、お風呂も入ってほしい。
この寒い中での避難所生活をといであげたい。
FC岐阜 SECONDの選手も厳しい環境で生活しながらサッカーもしていて、彼らが部費の中から被災地の皆様に義援金として送りたい話を聞いてうれしかったし彼らの人間としての成長をものすごく感じた。
SECOND TEAMはTOP TEAMみたいに時間を作って活動することはなかなか出来ないが出来る限り協力したいし僕自身も協力したい。
是非皆さんも出来る事をしていただけるとありがたいです。
改めて被災者の皆様方の御冥福と御健康をお祈り致します。